少し前の足利その2
足利市民で西洋建築が好きでこの物件知らない人がいたらこの記事読んで歯が砕けるほどに歯ぎしりすることでしょう。
そんな、今では信じられないような話。
東京は内幸町にかつてあった藤島歯科医院。
大正8年に移築され、足利市の両野工業(株)山前工場事務所として使われ後に明治機械(株)足利工場事務所となる。
塔屋が備わっている瀟洒な木造建築で全国の「貴重な建物2000棟」の1つにも数えられている。それが!
平成6年に明治村に移築。その事実をポジティブに紙面トップで伝える広報誌なのだけど、僕は偶然この経緯を知っている。
この物件を所有していた会社は工場拡張のため旧事務所を撤去する決定をし、その際足利市に譲渡を打診していたのですね。しかし足利市は予算がないということで辞退。そこで会社は明治村に譲渡したわけです。
せっかくの好意を無にしたわけだから、そりゃ広報誌の表現もポジティブさを装わざるを得ない。
これ以上書き続けると興奮して熱がでで寝込みそうなのでおしまいにしますが、平成6年、足利市はすでに観光に力を入れ始めていた時期だという事実に、足利市民のみなさんは何を思うでしょう。
あ、歯ぎしりされてる方は歯が欠けないていどに…